かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第408話「前期終了」【2017年10月】

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四年生の前期が終了しました。成績表は封をされてSくんには見えないように配慮。代わりに、先生からの手紙と、通級指導教室の成績表がありました。

先生からの手紙は、育成学級の成績表に似ていて、できたこと、頑張ったことが書かれていました。通級指導教室の成績表も、どんな分野の支援をしたか、その効果について、できたことが書かれていました。

二年までは成績表が全て1、三年前期は算出できませんと斜線、三年後期は再び全て1。今回は…半分2になっていました。…凄い!(3段階表記)

テストをきちんと受けられるようになったことや、補習にまで参加して、25m泳げるようになったことは大きな進歩でした。そして、三年まで不登校のあったSくんは、四年前期無欠席でした!

頑張り過ぎで心配なところもありますが、今が今までの中で一番成長して、一番苦しい時なのかもしれません……。

つづく。

第407話「やっぱり病気は目に見えないと分からない」【2017年10月】

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泌尿器科へ行った翌日、神経内科産婦人科→採血→脳神経外科→薬局。その次の週は消化器内科→頭部MRI。毎週どこか診てもらってる。もうクタクタ。あちこち悪くて、だいぶ具体が悪いって家族にもなかなか伝わらず。相変わらず元気そうに私は見えるようです。

元々、階段は登れないけれど、階段しかなかったら上がるしかない。…帰ったら足の爪に血豆ができて、爪が半分とれました。

Sくん:「うわ!なにそれ。見せないで!!」

血や火サスや医療系ドラマが見れないレベルのSくんが、私の足を見て騒ぎ出しました。

脂肪腫が脊椎にあるとか、背骨が途中までしかないとか、神経が通ってないとか、麻酔は効かないとか。ママの身体の中にはもっと悪いのがいっぱいだよ…と思ったけれど、目に見えないと分からないだろうな…と思って言いませんでした。

私の爪が剥がれたのを見てからはSくんは少し優しくなりました。ゆっくり、知っていってくれたらいいなと思います……。

つづく。

第406話「私も母とぶつかった」【2017年10月】

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中2の冬でした。私は母とぶつかって、ごはんを食べないストを二週間も続けていました。

事の発端は、高校の内部進学で、特進へ行くか、普通へ行くか選べるという話。私は芸術系へ進むと幼い頃から決めていたので、普通科へ行くと両親に伝えました。すると、母は激怒。

医師とか、弁護士とか、"◯◯し"とつく仕事をいくつか並べて、そういう仕事に就くか、ピアニストになりなさいと言い出しました。(私は2歳からずっとピアノを習っていましたが、大嫌いで、一番やめたいお稽古事でした。)

私:「私は努力しても勉強ができる方ではないし(大人になってから学習障害と分かる)、お医者さんや弁護士さんになるなんてとんでもない。その職種の方々に対して失礼だわ。私はピアノもずっと嫌いだし、早くやめたい。お母さんは自分がピアノを続けられなかったから私にやらせたいのだと思うけど、私にピアノの才能はないし、努力でカバーできるものでもないし、ピアニストの方に失礼。私は子供の頃から、アニメや映画やイラストやミニチュアが好きで、その方面へ行くと決めている。だから、高校は普通科へ行きます!」

いろいろ言い合った後に、母から"絶対に言ってはいけない"、けれど、"人生で繰り返し言われてきたワード"が飛び出しました。

母:「あんたなんか!生まれて来なければ良かった!どうせ、障害者に生まれた時点であんたの人生なんか終わってるわ!まともな就職もできない!結婚もできない!子供も産めない!生きてるだけで迷惑!早く死ね!通り側じゃなくて、境内側に向かって、今からすぐ飛び降りて死ね!」
(自宅はお寺の境内にあった。暮らしていた住まいは4階建て。)

まただよ…。と思いながら、ふつふつと湧き上がる感情に蓋をして。その日はそのまま寝ました。そして、翌朝から、母が作った食事を見ると吐き気がするようになりました。だから、お弁当も捨てていました。

日々、友達に心配されながら、結局、担任の先生が私と母の間に入って親身になって話を聞いてくれたり、阪神淡路大震災があって被災者の方々がお寺に避難して来られて、おばから、ごはんは大切だよ…と説得されたりして、私はようやく母の作ったごはんを食べる生活に戻り、進学調査票には、普通科へ行くと書きました。

正直、この時期の私が通っていた私立は進路を選択制にしていましたが、私のような頭の悪い子が特進へ行ったら…えらいことになっていたと思います。高校の特進へ行った友人達は本当にみんな頭が良くて、努力家で、後にみんな国立大や有名私立大へ行き、素晴らしい職業についていきました。…私には絶対に無理です(笑)。

Sくんとパパのやりとりは、私と母のやりとりに酷似しています。親から子へ、障害がある子だから故の厳しさだったかもしれないけれど、もっと言い方があるだろうにと私は感じ、毎日、声を殺して泣きました。

「勉強だけが自分を裏切らず、必ず自分に返ってくるから、悔しかったら、勉強をすればいい」と私が本当に気付けたのは高2のある日、バスの中で。

まだ9歳のSくんにそれを話しながら、まだ、早いよな…、私の9歳なんて反抗期でまだまだ勉強も本気じゃなくて、ドラゴンボールの絵が上手いってやっとクラスの子達に認められて嬉しがってた時期だよな…と思いました。

発達障害の子は、発達の速度にばらつきがある、物の感じ方や度合いが違う、だから、誤解が多くて苦しんでいる。私はSくんの突出して秀でた能力をまだ見つけてあげられていないのだけれど、もしかしたら、Sくんの、早過ぎる感じ方、苦しみ方、ぶつかり方は、いつかSくんを救う鍵になるのではないかと思い始めています。

母は、障害があったら就職も結婚も子も諦めないと…みたいに思って苦しんでいたのだと思いますが、私はその3つはクリアしているし(私は無理だと思っていなかった)、パパがSくんに諦めを強要しても、いつかSくんがSくん自身で盛り返して来たら、その時、本当に喜びが込み上げて来るんじゃないかって思います。

道のりは長いですが、まずは、勉強。悔しかったら、少しでも、勉強。Sくん、ゆっくり、一緒に頑張ろうね……。

つづく。

第405話「良く言えば八つ当たり」【2017年10月】

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私:「あなた…植松聖容疑者に通じるものがあるけど、自覚ある?」
パパ:「は?何言ってんの?」

Sくんに対する全否定の様子や暴言が、根底に、"障害者なんてみんないなくなればいいのに"という感じがして、私も重度身体障害者なので、気持ちの中で、「家族は3(私とかいじゅう兄弟)対1(パパ)」になっています。

なんでこの人、障害のある私と結婚したのかな?

これは、植松聖容疑者が、介護の仕事についていたことへの疑問にも通じるところがあります。

パパの考えの中に、"重度身体障害者でも乙武さんのように頭が良くて仕事をしていける人もいる"というのがあって、「障害者の中でも身体ならなんとか学力や努力でカバーできる。お前もデザインの仕事で努力して、早くキティちゃんみたいなの作って、当てて、俺を楽させてくれ」と昔に言われたことがありました。あの時、"キティちゃん、努力で生まれないし(笑)"と笑っていましたが、笑い事ではなかったなと今更感じています。

結婚生活の中で、モラハラみたいなのが激しかった時期もありました。良く言えば、八つ当たり。悪く言えば、モラハラ。健常者みたいに働けとか、家にいても暖房使うなとか、早く死んでくれとか。今はほとんどありません。どうやって無くなって行ったかと言うと、私が子育てしながら作家活動して、ちょっと賞をもらったり、テレビに出演したりして、周りから良く言われるようになって、なんだか、そこから急に、「お前を認めるよ」みたいになりました。なんなんだ、それ。

"良く言えば八つ当たり"、今はそれがSくんに向いているようにも見えます。もしかしたら、Sくんが何らかの分かりやすい功績をおさめれば、「お前を認めるよ」みたいになるのかな?と思いますが…。

結果なんか、ほんとはどうでも良くて。私とSくんは過程を重視する傾向にあるので、なんか、凄く、どうでもいい、そんな気もします。あと、Sくんは子供なのですぐに結果が出るような何かはありません。発達障害=ギフト=天才児みたいなこともありません(笑)。

ついでに言うと、パパは長生きする老人も排除したいそうです。確かに老老介護は大変なのだけれど、お年寄りは生きていてそこにいてくれるだけで幸せ、おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてくれてありがとう!みたいなのは無いそうです。

私:「んじゃ…あなたは、長生きしそうになったら、自害するん?それって線引き何歳なん?」
パパ:「え……!!!」
自分は長生きする気だったらしいです。中国の昔話を思い出しました。

昔々、適齢期が来たら老人を山に捨てにいく村があって、お父さんが山におばあちゃんを捨てにいって、おばあちゃんを入れて背負っていた桶を置いて帰ろうとしたら、子がお父さんに、「お父さんを捨てる時に使うから桶を持って帰ろう!」と言って、お父さんは我に帰り、おばあちゃんを連れて帰ったという話。

パパは…いつ気付くのかなと思います。

自分がSくんに対してしている事、私にしていた事が、恐ろしく、非人道的だということに……。

つづく。

第404話「大学に行きたい!」【2017年10月】

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生き物学者になりたい!貨物列車の運転もしたい!自然の多いところに暮らしたい!などなど、Sくんにはたくさんの夢があります。でも、どうしてそんな事を言うのか、私には理解できませんが、パパはSくんを完全否定です。

パパ:「お前なんか生き物学者になれねぇよ!馬鹿だから大学も行けねぇし!お前の人生なんか最初から終わってるんだよ!」

(Sくんのいないところで…)
私:「そんな酷い事を障害のある子供に言ってはならない。それは、絶対に間違いだよ。障害があるかないかに関わらず、夢や希望を後押しするのが親の役目。生き物について勉強する大学はたくさんあるし、Sくんも入試方法によっては入れてもらえるかもしれない。いつか、合う勉強方法が見つかるかもしれない。」
そんな話をパパに話したと思いますが、聞き流しているようでした。

私:「そうやってSを追い詰めて、将来、完全な引きこもりになってしまったり、ニートになってしまったりしたら、自分がずっと養っていくんだよ?そのことも考えているの?もしくは、近い将来に生きる希望を無くして、Sが自殺したらどうするの?」

パパ:「それは、それで、いい。」

そう言われる気がしていましたが、やっぱりそうでした。

言われたすぐは人形のような顔をして言い返さなかったSくんですが、夜中、「ぼくは大学へ行けないの?」と言って、ウワァっと溢れる涙が止まらなくなりました。

……もしかしたら、いつかSくんは夢を諦める日が来るかもしれません。いくら応援したって、努力したって、結果がダメな時もある。でも。まだ9歳ですよ?みんな、様々な夢を見るんじゃないでしょうか?ユーチューバーになりたい子、警察官になりたい子、運転士になりたい子、仮面ライダーになりたい子、たくさんの夢があちこちにあるじゃないか!サッカー選手になりたくて、サッカーを習って一生懸命に頑張っている子に、"それは一握りの天才しかなれないものだから、所詮凡人のお前は努力なんかやめちまえ!"と、パパは言うのでしょうか…?

もしかしたら、10年後、20年後は、今は存在しない職種や、就業形態の仕事があるかもしれないのに、なぜ、パパは、Sくんを完全否定なのか。私には理解できなくて、想いは向こう岸には届きません。ただただ暗闇で泣き続けるSくんを抱きしながら、「つらいよね。悲しいよね。でも大丈夫だよ。方法は必ずあるんだよ。今の自分に解決できないことでも、誰も助けてくれないことでも、必ず、自分が生きてさえいれば、学びを得て成長した自分が、今日の自分を未来から救いに来るよ。」と話し続けていました……。

つづく。

第403話「続く、集団登校の問題」【2017年10月】

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集団登校がいつもネックになってきたSくん。そもそも学校へ凄く行きたいわけではなくて、集団登校には苦手なクラスメイトがいて、みんなに合わせて一定の速度で行かなければならなくて。運動会後、疲れからか?出渋りが始まりました。

なんとか自分のテンションを上げる為に、付き添いのヘルパーさんに自分が好きなものの話をし続けているようなのですが…。とにかく、元々歩くのが遅いのです。

苦手なクラスメイト:「Sがいると遅い!早く学校行きたい!もうSは置いて行こう!」
一番後ろに付いている副班長:「みんな止まって〜。Sくん、お喋りしてもいいけど、早く歩いて。」
苦手なクラスメイト:「もう!Sは置いて行こうって!」(と言って、班長を抜いて走り出す)
先頭にいる班長:「走らないでください!班長より早く行かないでください!」

こんなやりとりがあるようで。集団登校班はばらばらに。

夕方自宅で、Sくんに"みんなを困らせてはいけないよ?"、"もう少し早く歩けない?"、"喋るのをやめてみたら?"と聞いてみたところ…
Sくん:「お喋りしなくても早く歩けない!もう学校行かない!」
と言ってパニックを起こし、発狂してしまいました。

・それぞれの子供の言い分もわかります。班長さんと副班長さんは高学年としてよく頑張ってくれています。早く学校へ行って遊びたくてイラつくクラスメイトの気持ちも分かります。

・でも、Sくんはなんとか学校に行っているレベルで、早く歩くレベルにありません。そこを周りのお子さん達に理解させるのは不可能です。

・Sくんは集団登校班に入らない選択を過去に何回かしていますが、学校側からは注意されてしまいます。

・Sくんにはヘルパーさんが付いているのでSくん自身の安全は確保されています。

というわけで、「出発はみんなと集団登校班で出ても、Sくんが遅れ始めたら、"ヘルパーさんがいるから、大丈夫だから"、Sくんを置いて行ってもいい」と同じ班のみんなに"先生から"伝えてもらうことにしました。

我が家にとってみれば、集団登校の時間に出発できているだけでも大きな成長ですが、みんなが迷惑する事は、周りはもちろん、Sくんにとっても良くない事だと思うのです。

たかが集団登校ですが、Sくんにとっては毎朝の大きな課題で、大きな大きな壁を壊しているくらい精神的にも体力的にも大変なこと。なるべく負荷を減らしつつ、周りのルールの範疇にもいる選択を、学校側と確認し合わなければならないなと思う出来事でした……。

つづく。

第402話「背筋がだらん」【2017年10月】

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発達障害があるお子さんにはよくあることですが。Sくんは椅子に座るのが困難です。

クリニックの先生は、「発達障害がある子は筋力が弱かったり、左右の筋力にも偏りがあるから、だらんとなってしまう。悪気はない。」と話しておられました。

背筋がだらんとしてしまい、猫背か、逆に背もたれに寄りかかってしまう。幼い頃は、そのまま、ずるずると流れるように下にズレて椅子から落ちることもありました。

手を座面につけばしっかりしますが、手を使う学習に取り組めなかったり、支えなくて良くなった暇そうな足が、ブラブラと交互に動き始めてしまうのでした。

保育園の頃は、椅子が小さいのでなんとか床に足がつけば我慢して数分は姿勢を保っていましたが、足がつかないと、足はブラブラ、体はずるずる。療育施設では先生が、椅子の脚にゴムをはって、そこに足を乗せるようにしてくれていました。

この様子は、小学生になれば、「ふざけている!」と先生から注意されてしまいます。

就学前、コンサータの薬を飲み始めて、服用期間は人形のように大人しくなり、笑顔がなくなり、椅子に正しい姿勢でずっと座るようになりました。頭も一切動きません。姿勢の面からだけみたら、コンサータはいい方向に作用していましたが、Sくんは、コンサータを服用しても学習面に効果が出ず、副作用で食が細く細くなりました。

二年の秋からコンサータをぬいたら、また、椅子にだらんとなるように戻りました。ただ、足は床についていたからか、あまり動かなくなりました。

お家では、食事中にだらんと座って、よくこぼしました。だらんとしたお腹の上で食べているような格好なので、服が食べ物だらけで、汁物は何回も机や床に落としてしまいました。箸は使わず、スプーンやフォーク、たまに手で食べたりしていました。

ずっと、このままなのだろうか?

三年の頃、心配になりました。

四年になって急に姿勢がマシになり、食べこぼしが減りました。後から知ったのですが、給食中もだらんとなるのを、都度、先生が姿勢を直してくれていたようなのです。先生ありがとうございます。

今は、汁物をこぼさなくなりました。服はまだ少し汚れます。海の家へ行って、塗り箸を手作りしてきてからは、それを使いたくて、スプーン、フォーク、手で食べるのを急にやめました。

Sくんの成長はいつでも急です。

今もSくんの姿勢は背筋がだらんとなることがあります。困難はあります、ありますが、自分でぴんと直して、食べ始めます。

興味のある学習は最初からぴんとして取り組んでいて、興味のない学習は床に転がったり、ソファーやリビングの絨毯や廊下や、あちこち移動しながらしていますが、まぁ、今はいいやと様子を見ています。

いつか、急にできるようになるかもしれないので……!

つづく。