かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第7話「”Sくんは迷惑をかけない子だから”、困りを無視する保育園」【2011年9月〜2013年12月】

毎朝、青い空を見上げると、「きれいなみどりだねー!」とSくんは言います。父方のおじいちゃんが色弱なので、遺伝したかと思って眼科へも行きました。
(後にそれが、「発達障害特有のインプットの間違いを後からなかなか修正できないことによるものだ」と分かり、Sくんの世界を理解できるようになって少し嬉しくなりました。)

Sくんが熊本で通っていた保育園は、弟Aくんの里帰り出産から帰った、年少の9月〜年長の12月までお世話になりました。Sくんの学年は1クラス38人と先生が2人いました。いわゆるスパルタ保育園でした。
(スパルタ保育園に通わせたかったわけではなく通える範囲にそこしかなかった…。)

複雑なメロディオンや音符を書く勉強、リトミック、英会話、漢字で都道府県を覚えさせ、運動会には組体操や鼓笛隊がありました。他のお子さんは年少の夏までにひらがなを習得済みでした。今思うと、発達障害のあるSくんにとっては、つらい経験が多かったと思います。
(Sくんは小1の夏に漸くひらがなを完了した。)

ある日、保育園の先生から、給食当番をSくんだけできない、Sくんだけ課題の時にぼーっとしていてやらない、テンションが上がると止まらない、お友達とコミュニケーションがとれない、などなど、保育園の集団行動の上で、先生方が困っている内容を報告された時がありました。

給食当番については視覚優位のSくんの為に私がすべての流れをイラストに書いて説明してやると、できるようになりました。

全体に対する指示出しは本人が”自分を含んでいると認識していない”ので、個別の声かけをお願いしました。

コミュニケーションについては仲を取り持ってやって欲しいという話と、何か間違いを注意する時に激しく怒る事はやめて欲しいと伝えました。

当初、保育園側からは「支援コーディネーターがいるから大丈夫」、「障害があっても続けて保育園にいて良い」、「毎年一人の発達障害児を対象に選んで、特別なサポートをしているので、それに、Sくんを選んでサポートします」、そんな話でしたが……。

ふたを開けてみれば、「Sくんは迷惑をかけない子だから」と支援されず、放ったらかしのまま、どんどんSくん自身の困りは深まってしまいました。

間違ったり羽目を外して、先生から激しく怒鳴られる事もあったそうです。とても残念でしたが、保育園からは”差別せずに置いてやっているんだ”という姿勢が感じられて、期待するだけ悲しくなるようなやり取りが続きました。

大きなホールを借りて催される発表会に向けて、メロディオンや歌、劇の練習もありました。いざ、発表会の当日になり、メロディオンの列を見ると、Sくんのいる三列目はみんな手を丸くして鍵盤に置き、口はホースをくわえていましたが吹いている様子がありませんでした。一列目や二列目のお子さんは激しい指さばきで軽快なクラシックを演奏していました。

私:「先生、週1回だけのメロディオンの練習で、みんなあんなに弾けるようになるんですか?」
先生:「このクラスはピアノを習っているお子さんがたくさんいて、皆さんに楽譜を配ってお家で練習してもらっていました。発表会は大成功でした!」
私:「あの、Sくんは何も動いていなかったように見えましたが、どんなパートだったのですか?」
先生:「できない子は、みんな、形だけして吹くなと教えました。立っていただけですよ!」

発表会後のこのやりとりに私は頭がクラクラして、転園も視野に入れなければならないと感じました。熊本の田舎、待機児童が60名ほどいる中でやっと入れた保育園、他は遠くなる、送り迎えの問題もある……。

結局、Sくんには、「行きたくない日はお家にいていいよ」と伝え、週に2回ほど、カリキュラムが楽な日だけ登園させる事にしました。

お家では、粘土をしたり絵を描いたり、工作したりレゴをしたり、本を見たり…。私にとっては悔しくてたまらない期間でしたが、Sくんにとっては、ママと二人でゆったり過ごす貴重な時間になっていたと思います……。
(弟Aくんは母屋の家族が交代でみていてくれました。)

つづく。