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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第10話「保育園のPTAで、止まらない大人のいじめ」【2013年4月〜12月】

空の色を覚えていません。ただ、上空の飛行機を見上げると、一万円出してあれに飛び乗って「京都へ帰りたい」と思っていました。

どこでもPTAの選出時は重苦しい空気と、沈黙の時が流れ、すんなりとは何も決まらない、そんな事があります。Sくんの保育園でもそうでした。年中最後の参観日に、お昼ご飯も食べないまま4時間、何の役員も決まらず。それぞれ順に、仕事や家族の事情を話していました。

我が家は夫婦で話し合いに参加して、しびれを切らしたパパが、「いつまでも何も決まらないし、ぼくが会長します!ただし、妻は病気で手伝えませんが。それで良かったらよろしくお願いします!」と言い、拍手で受け入れられ、そこから数人のパパさんが幹部役員に立候補し、パタパタと全員の役割が決まりました。

しかし、実際は、私が連絡役をしていました。でも力仕事や立ち仕事、夜中の話し合いには参加できないという形になってしまい、「奥さんも前に出てきて旦那さんと二人で会長職をして!」と言われてしまいました。

病気で…という話をしましたが、「そんなことは聞いていない!」「病気なんて信じない!」「病気なら証拠見せろ!」病気であると確認したら次は「病気理由で保育園利用するなんて許さない!」となり、たった一ヶ月程であっという間に針の筵に。眠れなくなり、幻覚が見えるようになり、外に出られなくなりました。春の遠足では、吊るし上げにあい、その様子は幼い子供たちも見ていました。

遠足の帰り道にSくんが言いました。
Sくん:「ママはよく頑張ったよ。何も悪くないよ。ぼくはママとパパとAくんがいたら、他には何もいらないよ。だから、ここからお引っ越しをしよう。」
一瞬、Sくんがしっかりし過ぎていて、本当に発達障害があるのかと耳を疑ってしまいました。すべては悪い夢なんじゃないかとも思いました。

それから、様々なトラブルも私が原因だと責任をなすりつけられ、パパが何度も話し合いに行き、最後には誤解は解かれましたが、ボスママに目をつけられたが最後、いじめが収まる事はありませんでした。

スーパーでたまたま出会い、子供同士が話していても、親がその手をグイグイ引っ張って引き離したり。たまにお迎えへ行くと、「病気のくせに、なんでお迎え来るんですか?」と聞かれたり。私達は地域で暮らせなくなりました。息が出来ないような毎日でした。

だから、私達は水面下で熊本を去る準備を始めました。

まずはパパの転職から。次に物件探し。それから、発達障害の病院探しと、療育探し。引っ越しにあたり、ヘルパーさんの支援が途切れないように、役所にもかけあいました。

夏には、仕事で映像作家としてテレビ出演した事が火に油を注いだ形になり、放送翌日には、「Sくんのママは犯罪者だからテレビに出たんだよ。」という噂が流れて、Sくんが虐められて帰ってきて、二人でたくさん泣きました。
(テレビ放送では、病気である事は公表しませんでした。理由は、見る人に、夢を与える番組だったからです。)

でも泣きながら、もう、パパの転職先(京都)は決まっていたし、適当なマンションも見つけていたし、心の奥の底のもう一つ底で『ああ、私はこれをきっかけに熊本を出るんだ。こうでしか、私が京都へ帰る理由はないんだ。これは、次のステップへのきっかけでしかないんだ。』と思いました。

そこには、ぐるりと180度まわって、前向きになっている自分がいました……。

つづく。