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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第24話「ママも発達障害だった!」【2014年4月】

最近よく雨が降ります。と言うか……私は元々”雨女”です。熊本で車で送り迎えしてもらっている間はその事を忘れていました。先々まで決まっている外出日は大概降りました。

さて。私には、生まれつきの二分脊椎症(身体障害手帳1級)以外に、人とは違う所がたくさんありました。

まず、連続する幾何学模様が苦手で、時には吐く事がありました。あと、会話や服装の細部までよく覚えている記憶と、すっかり消えて無くなってしまう記憶とがありました。

話している途中に脳内が真っ白になって、何を話していたか、何を伝えたかったか分からなくなったり、今、何をして何処にいるか分からない事も度々起こりました。知ったかぶりのような態度や気の無い返事をしている時、私の頭の中はいつもパニックに陥っていたのです。

小学生の頃から算数が得意でしたが、数字や漢字は全く覚えられませんでした。電話番号を口頭で言われたら何も覚えていない、自宅の郵便番号はいつもメモを見て確認していました。勉強不足だとよく周囲の大人達に怒られ、人の何倍も勉強しました。それで、やっと普通のレベルでした。

中学生になると英語が加わり、当然、英単語が覚えられずに苦労しました。古典の暗記も、漢字も単語も、勉強の時間はかけましたが、点数に現れてきませんでした。暗記の科目は捨てて、得意な科目で点数を稼ぐようになりました。高校生になる頃から、自分が人の名前や顔も正しく覚えられていない事に気付き、写真や当時流行ったプリクラにそれが誰なのか書きました。なぜか、静止画になると人の顔も覚える事ができました。

大学は芸術系へ、映像の勉強をしていました。記憶と記録が私の研究テーマでした。大学では知り合いがどんどん増えて、記憶が飛び続ける私は、連絡先を交換した相手がいつ知り合った誰なのか分からなくなる事がありました。…失礼な奴だと思われる事もあったかもしれません。

Sくんの為に買ってきて読んだ本の中で、自分にも思い当たる記述をいくつも見つけました。振り返ると、コミュニケーション下手で、よく一人でいた事がありました。絵が抜群に上手くて、アニメと漫画が大好きでした。変わった子供だったと思いますが、好きな事がある事が、どんな時も私を救ってくれていました。

もしかして、私が今の時代に暮らしていたなら、発達検査を受けて、何らかの診断が出ていたかもしれません。私は一人で困っていました。虐めにもあいましたし、辛い事ばかりの子供時代に自殺を考えた事もありました。でも、私はなんとか死なずに生きてこられました。

私は困っていたけれど、気がつけば、多くの友人や先生方に囲まれて。何方かと言えば、不幸せではありませんでした。我が子がどんな人生を歩むのかは分かりませんが、どうか、自分自身を見捨てずに、死にさえしなければいつかなんとかなると思って生き続けて欲しいと思うのです。

あと、こうして大人になってから、失顔症(相貌失認)や識字障害(ディレクシア)、記憶の障害など、特性を知る事はまたプラスに働くと私は感じました。「私って、勉強できなかったけど馬鹿じゃなかったんだ!」これは大きなプラスになりました。あと、自分にも傾向がある事で、Sくんの事も理解しやすかったのではないかと感じています。

繰り返しになりますが、「障害があるかないかは個性の一部みたいな物」です。

「自分自身を知っておいた方が行動しやすい」、また、「特別な困難や苦労に対しての代替策を考える事もできますし、無理して、普通の枠に収まろうとしなくて良い」というメリットもあるのではないかと私は感じています。

普通の枠に囚われ、人の目を気にする時、ああ、私は根っからの日本人だなぁと思いますが、それはそれで良くて、そこから一歩、脱出するきっかけが、個性であったり、障害であったり。私達は本来自由で、幸せになる為に生まれてきて、楽な方(負担の軽さ)を選択していいのです。

後にSくんは「普通って何?」という課題に出会います。普通の範囲を一応把握して、自由に、幸せや負担の軽さを基準に選択していけばいい、私はそう思うのでした……。

つづく。