かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第26話「昔話。重度身体障害者(二分脊椎症)のママは、支援学校からも校区の小学校からも受け入れ拒否で、私立を受験した。」

暑い夏の日でした。その昔。母と二人で、就学前健診前に、校区の小学校(下京区)へ話し合いへ行った事がありました。母は私の病状を説明した上で……

母:「リハビリも訓練入院も経て、この子は自立しています。装具を履いていますが、一人で歩けますし、ハサミも使えて、ひらがなも読み書きできます。トイレも自立していますので、よろしくお願いします。」

と頭を下げていました。私も頭を下げました。が、校長先生と教頭先生は訝しげな顔をして、一言も何も言いません。

続けて母が話していても、ますます難しい顔をして、最後には……

公立の校長先生:「このような重度の障害を抱えているお子さんをお引き受けする事は出来ません。何かあっても責任もとれません。支援学校へご相談ください。では、お引き取りください。」

……帰り道、とぼとぼ歩く母の後ろ姿を見ながら、私は、幼稚園のお友達と”同じ小学校へ行くんだね〜”と手を繋いでクルクル回った事を思い出していました。

ちなみに、支援学校からは、「このように歩けて知的に障害もないお子さんを支援学校でみる事はできない」と、既に断られていたのです。

『私…どこへ行くんだろう?』

夜中に父と母が泣いていたのを私は知っていました。でも知らないふりをして、楽しく幼稚園へ通い、秋の運動会や発表会にも出ました。

そして冬。母が言いました。

母:「よし!受験しよう!K女なら仏教系だし、お父さんも喜ぶわ!制服もカワイイし、ピアノで一緒の○○ちゃんもいるし!」
私:「え?勉強は?」
母:「今からしたらいい。」
私:「塾行くの?」
母:「こんな冬ギリギリから入れてくれる塾なんかないわよ!お母さんと二人で猛勉強して、1月の模試で1番とろう!そしたら、楽に受かると思うわ〜!」

な、なんて計画…!その日から幼稚園を休んで部屋に閉じ込められて猛勉強が始まりました。夜の7時のアニメが見たくて必死になっていた事をよく覚えています。問題集をコピーして2回ずつ、5冊やりました。

結果は、合格!(ちなみに、直前の模試も1番でした。教育大付属も受かりましたが、抽選で落ちました。)

小学校受験の時も、記憶問題が苦手で、あと、障害を隠して受験したので、平均台から落ちた時は『落ちたー!もうダメだー!』と思いましたが、平均台の担当だった保健室の先生が、「大丈夫だよ。」と言って、手を繋いで最後まで渡らせてくれました。

そして、入学式。入学式が終わってから、母は私を校長室へ連れて行き、病状を説明しました。騙し討ちのようでしたが、こうでもしなければ、私は小学生になれなかったのです。

私立の校長先生:「わかりました。支援させていただきます。」

そこから支援の具体的な話し合いになりました。高校まで12年間、K女では大変お世話になりました。支援はありましたが、理解のない先生もいたのは確かです。虐めにもあいました。でも、いつも誰かしらの先生が支えになってくださいました。例えば小学校だったら、平均台で出会った保健室の先生がいつも支えになって励まし続けてくれました。

Sくんに学力的な能力があったら(あと、余裕のある資金と、引っ越しのタイミング等……)、どこかの私立か付属を受験させていたかもしれません。でも、私立でも国公立でも、教育を受ける権利を、どんな障害者だって持っているはずなのです。

どこへ行ったかではなく、行った先でどう行動したか。強い信念を持って、昔、母がしていたように、私もSくんの小学校と話し合いを繰り返しています……。

つづく。