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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第70話「昔話。ママも二年生の時、死にたかった。」【2015年12月】

昔話をします。Sくんのママ(私)がSくんと同じ二年生だった時です。激しい虐めにあっていました。最初はクラスメイトとのちょっとした行き違いや、小さなトラブルでした。でも、クラスにいるいじめっ子の女の子がやる嫌がらせがだんだんエスカレートして行き、周りの子供達もそれを面白がるようになっていきました。

内部疾患がある為に持ち歩いていた医療用具を捨てられたり、隠されたり、特に腰が弱いのを知っていて蹴り飛ばして、私は痙攣して道に倒れたままになったりしていました。自由帳や教科書も鉛筆で真っ黒に塗りつぶされ、傘は毎度折られ、上靴は消火用のバケツに漬けられていました。

担任の先生に話しましたが無駄でした。なぜなら、そのいじめっ子の女の子は担任の先生のお気に入りだったからです。

虐めはおさまらず、やがて、先生から嫌がらせを受けるようになりました。「一人班制度」です。クラスで問題を起こす子を先生は一人班にして、クラス全員に、口を聞いてはならない、無視して、いない物と扱えと教えました。右向け右、ヒトラーの世界みたいで、私は孤独の沼に落とし込められました。

先生:「病気のあんたがいるから、このクラスはめちゃくちゃになるのよ!あんたさえ、この世にいなかったら良かったのに!病気のあなたが世界で一番悪い!だから、一人班にするのよ!」

親には言いませんでした。いや、言えませんでした。恥ずかしくて、恥ずかしくて、死にたくて、言う気力を失いました。毎日ぼこぼこにされに学校へ行きました。ランドセルが無くて探していたら、焼却炉に捨てられていた事もありました。

私は、このランドセルが妹のじゃなくて良かったと思いました。もしも妹がこんな目にあっていたら、私はその相手を殺してしまうかもしれないと思いました。私は、なぜ、周りに仕返しをしなかったか……。自分の中で自分を殺していたからです。

先生:「あんたがいて良かったわ。あんたがいるから見せしめで、クラスがうまくいく。」

学級目標は、「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」でした。そのスローガンの元に、「一人班制度」は成り立っていました。つまり…問題児と先生が判断したら最後、クラス運営の為の見せしめにされるのです。逆らったらああなるよ、私はそういう存在でした。

私はよく自分が存在しているのか、いないのか、分からない感覚に陥りました。また、怒りが膨大すぎて、皆殺しにしてしまうのではないかと、自分が犯罪者になる事を恐れていました。または、この事を親が知って、皆殺しにするんじゃないかとも考えていました。

二年生のクラスはアウシュビッツのようでした。担任の先生はヒトラーです。私はユダヤ人がアウシュビッツで大量虐殺された事をこの頃に本で読みますが、同時に、障害者も集められて実験台にされたり、殺されたりしていた事も知ります。

その頃の実験が後の医学の進歩に役立った話も読みました。すると、重度身体障害者の私が大手術を受けて生きているのも、そこから通じるものがある気がするようになりました。

アウシュビッツにいた人たちが最後生き残った理由も読みました。そこには、どんな酷い状況に置かれても、美しい物を美しいと感じる心を捨てなかったと書かれていました。強制労働と劣悪な環境でも、朝日を見ると美しいと感じていたそうです。

私は私の中で自分を殺して抜け殻みたいに生きていましたが、空っぽの私にアウシュビッツ
人々の心が飛び込んで来て、ある日、私は死んではならないという気持ちになりました。

両親に話しました。両親は学校へ抗議し、僧侶だった父は、仏教の冊子に論文を書いて発表する形で、この事を明るみに出しました。

しかし、最後の最後まで担任の先生はおかしいままでした。

先生:「おたくのお子さんはいずれ犯罪者になる存在です。」

最後に担任の先生は両親にそう言いました。

後に、担任の先生は処分されて、しばらく図書室勤務になりました。私は、ぬるい処分だなと感じました。校長先生の説明では、この担任の先生にも病気のお子さんがいて、だから、私に優しく親身になって対応できると考えて担任にしたそうです。が、実際は逆効果。担任は、私を恨んでいたそうです。我が子と違いすぎて、恨んで、虐めてしまいたくなったそうです。

私が、その担任の先生やいじめっ子の女の子を許す必要はないと思っています。でも、許さなかったら自分がキツくて、いつしか、「許し忘れる力」を手に入れて、前に進むようになりました。

今、辛いだろうSくんに、この話をするのはずっと先の事でしょう。私の辛かった経験が、Sくんに何らかの形で助けになる可能性があるとしたら、やっぱり「生きてさえいれば大丈夫」、「私が生きている意味はあった」と私は思うのです。

「お願いだから、死なないで。」それが私がSくんとAくんを育てる時に感じる最大の願いでした……。

つづく。