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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第83話「面談、Sくんと記憶喪失の先生たち」【2016年3月】

面談の数日前に京都市市役所へ行きました。市議会議員さんにお話を聞いてもらう為です。お家の方がまずは不登校である事を受け入れてやって下さいという話と、やはり、引越しを視野に入れて下さいという話でした。

さて、数日後の面談で。Sくんに対する虐めや、特別支援がなされない環境、不登校になってからも放置されたまま春休みに入ってしまった事についての話し合いをしました。この時から面談には、障害者支援相談員さんに付き添ってもらっていました。この日は私の体調を心配して、おばも付き添ってくれました。学校側からは、校長先生、教頭先生、教務の先生、担任の先生、支援員の先生、育成学級の先生、LD等通級教室の先生が出席されました。

不登校期間については、「マニュアルでは三日休んだら様子を見に行く事になっていたが、しなくていいと思った」と言われてしまいました。正直過ぎて残念な気持ちになりました。また、「お母さんがもう行かないです。」と言っていたから、声かけに行かなくてもいいと思っていたとも言われてしまい、まるで、私のせいで不登校期間が長引いたような表現でますます残念な気持ちになりました。

虐めについては、担任の先生から電話があった所から発覚したのに、「記憶がありません。」と言われてしまい、有耶無耶になりました。ただし、クラスメイトがパンツチェックをしていた事や汚い言葉かけがあったのは確かで、保護者を呼び出しして注意もしたが、効果がなかったという事でした。

特別支援については、支援員の先生がサポートをしてくださっていた事を初めて知らされました。個別指導計画書も見せられましたが、作成日が面談前日になっていて、慌てて作った感がありました。また、校長先生から、「個別指導計画書は2016年4月1日からは作成義務があり、罰則化されるので、保護者と確認し合うし、個別指導計画書自体をお渡ししますが、今はまだ2016年3月なので、閲覧しかできません。」と言われてしまいました。

そこで、障害者支援相談員さんが、一言、不登校の対応も特別支援も万全でないし、個別指導計画書についても他校は前から作って保護者と確認し合っているという話をされましたが、”それがどうかした?”という態度でした。

おばが、「先生方にとって、Sくんは何でしたか?」と聞きました。「必要な子供じゃなかったんですか?」と聞きました。確かに私もそれを感じていました。他校から先生が通ってきてくれるLD等通級教室だけがSくんの心のよりどころでした。この小学校の中には、Sくんを心配している大人がいなかったのです……。

つづく。