かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第101話「スクールカーストにしがみつく人々」【2016年9月】

また…空を見上げる事を忘れていたように思います。どんなに苦しい時でも、四季折々の季節の変化や空の様子に気を向けていられたら大丈夫と思って、今日も意図的に上を見上げます。

「ママ、ぼくたちは、障害者に生まれた時点で人生終わってるよね。」と、最近よくSくんが言います。障害者は役に立たないの?死んだ方がいいの?普通って何なの?小3とは思えないような思考力で悩んでいます。相模原の事件の影響もあるかもしれません。

集団に入ると、私もSくんもうまくいかない、虐めや嫌がらせが止みません。その理由に、学校カーストやママカーストというキーワードがあって、”障害者ってカーストの底辺なんじゃない?”という事が浮かんで来ました。

ちょっと…障害者って事にこだわり過ぎじゃない?と自分に聞いてみるのですが、やはり、特別支援の在り方や、理解の薄さ、様々な差別を経験する中で、『日本中どこへ行ってもこんなんちゃう?友達たくさんいるのに集団ではうまくいかない。日本の集団に入ろうとする限り、ずっとこうなんちゃう?』と思うのでした。

がっかりはしていません。差別がある現実が当たり前の事で、今、言葉になっただけだから。

気にすんな!という励まし?をよく昔はもらいましたが、現状が現状なので、そんな事言う人も最近はいなくなりました。

昔は、気にすんな!と言われると、雑だな、投げやりだなと感じて嫌な気分がしていましたが、差別を無くそう!とか、カーストやめよう!とかいう、よその人も動かさなきゃならないような夢を語るよりは、自分を変える方が簡単だなと今は感じています。

でも……、この現状を気にしなくなったら……。私は阿保になってしまったのか、気がおかしくなってしまったのか、そのどちらかです(笑)。

私は五体満足を知りません。痛みのない生活をした事がありません。五体満足に生まれても、他者と比較して、スクールカーストにしがみ付かないと生きて行けない程、日本は生きにくい国って事でしょうか。

幸せって何だろうかと考えさせられます。

普通である事が幸せだとしたら、Sくんが言うように、障害者に生まれた時点で人生終わってるのかもしれません。

普通でなくなったら不幸?老いたら不幸?貧乏は不幸?一人は不幸?誰だって、病気にかかったり、事故に遭って障害が残ったり、様々な不幸に遭いながらも生きて、最期には死ぬわけです。

最期には死ぬわけです……。

最期には必ず死ぬ、そういう意味では人は皆平等だと思います。

あとは長さの違いと、その内容の違いでしょうか。

時々、一人になりたいと思います。でも、人は一人では生きられません。多くの命に生かされて今を生きている、そういう流れに身を置いている事を認識できたら、たった小さな島国の、たった小さな集落の中の、小さな小さなカーストで苦しむ私はもっと小さいような気がして、だんだん気にならなくなっていきます。

気にすんな!→はい!了解しました!というようにはいきませんが、なるべく重く気にしないように心掛けながら、私は、私以外の人も動かすように活動し続けなければなりません。

夢みたいかもしれないけれど、差別はなくなる方がいい。

夢みたいかもしれないけれど、しょうもないカーストは捨てた方がいい。

ついでに、夢みたいかもしれないけれど、戦争もなくなる方がいい。

そんな風に私は思って、今を生きています……。

つづく。