かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第104話「昔話。不在証明、ママの不登校。」

その昔、私も不登校の期間がありました。高3の時です。卒業までの半年間、卒業単位に必要なところ以外は休んでいました。理由は複雑にありましたが、きっかけは文化祭のしょうもない対人トラブルでした。

クラスの中で私は、絵が描ける事で有名ではあったけれど、コミュ力の低い、できれば隣の席にはなりたくないと思われるような存在だったと思います。存在しているのにいないような感覚、不在証明と言えばいいのでしょうか、いつも私は集団の中でそんな感覚でいました。その時々に親切な友人達に出会い、学校生活がずっと辛かったわけではありませんが、集団の中にいる事が大変に苦痛でした。

コミュ力を試される文化祭、自分にできるのはポスターなどを作る事だったので、上からの指示通りに、画用紙8枚分、窓の上に貼るポスターを仕上げました。

上の人:「背景の色と文字の色、逆だけど。」
私:「え?言われた通りにしたよ?」
上の人:「違うし。やり直して。」

剥がして、やり直す私。

数日後。

上の人:「背景の色と文字の色、逆だけど。」
私:「え?言われた通りにしたよ?」
上の人:「違うし!やり直して!」
私:「は?前のに戻すの?」
上の人:「いいから、残って、直せや!」
上の周りの人:「足悪いのに、頭も耳も悪いんですかー?聞こえませんかー?」

なんかまた、自分がいるのに、いないみたいな感覚になって。ロッカーに上がってポスターを剥がし始めたら、震えが止まらなくなって、全部引きちぎって、破って、丸めて、ダストシュートに捨てました。それまで11年6ヶ月、我慢してきた物が爆発して、全部ダストシュートの中に落ちていくように感じました。

受験を目前に控え、私は学校へ行く事をやめて自宅で勉強しようと考えました。仲の良かった先生(担任ではない)に電話で相談して、すぐにその先生が卒業単位を計算してくれました。

両親が担任に呼び出しをされたりしていましたが、両親は、「あの子が決めた事だから、よっぽどの事があったんだろう、見守ってやってください」と言って帰って来ました。両親から、私が学校へ行かない理由も聞かれませんでした。

不登校を選ぶ時、未来の自分の足枷にならない事が私の中のたった一つの条件でした。だから、友達も行事もどうでも良くて、「大学へ行く為に高校を卒業だけはしよう」と思っていました。

後は味方の大人達がなんとかしてくれました。

卒業式は受験日で行けませんでした(受験じゃなくても行かないつもりだった)。母だけ、友達のお母さんに誘われて卒業式へ行きました。最後に教室で、担任の先生がみんなから渡された花束を私の机に置いたそうで。それが、どういう意味だったか分かりませんが、母は「まるで我が子が死んだみたいだった!」と気分を害して帰ってきました。頭の中で、いない机に置かれた花束を想像しました。なんだか、不在証明らしい最後だなと思いました……。

つづく。