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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第132話「二分脊椎症のママが赤ちゃんを産むという事。《2.妊娠後期(Sくん)》」【2007年7月〜12月】

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私の出産経験談の続編です。長文ですが、お付き合いください。

* * *

《2.妊娠後期(Sくん)》

妊娠中、まるで、お空からNO!と言われているかのように出血が続いていました。切迫流産で運ばれたり、切迫早産で運ばれたり、子宮筋腫の激痛で寝たきりになったり。薬は使えないので我慢するしかありませんでした。

2007年7月、安定期に入ってから実家のある京都へ飛行機で帰りました。枚方星ヶ丘医療センターと京都大学医学部付属病院にカルテを作りに行きました。二分脊椎症のママからの出産例の多い星ヶ丘で出産を予定し、実家に近い京大は緊急時対応してもらう事になりました。

それから一旦熊本へ帰り、冬まで過ごしました。掃除機をかけて出血して倒れたり、吐き下したり。激痛の毎日でほとんどが絶対安静でした。家族にもたくさん心配をかけました。でも痛みより何より、とにかく赤ちゃんが堕りてしまわないか心配でいました。

この時、私が本当に赤ちゃんを無事に産めるかは分かりませんでしたが、”自分の事より気にかけて心配する存在が体内にいる…!”私は”お母さん”になったんだなぁと実感しました。

熊本の病院は出産を拒んでいたので検診へ行っても「早産です、自然分娩は無理です、早く実家に帰ってください」としか言われませんでしたが、星ヶ丘も京大も「自然分娩で出産してから、子宮筋腫の摘出手術をする、早産にはならない」段取りでいました。

そして、2007年12月、母に付き添われて在来線と新幹線で(この頃はまだ熊本に新幹線が開通していなかった)、約7時間かけて移動をしました。トイレに自由なタイミングで行けるようにと、飛行機ではなく新幹線にしましたが、結局、トイレ近くの席を指定して、そのトイレを頻繁に使っていたのは、食べ過ぎでお腹を壊した母でした……(笑)

つづく。