かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第135話「二分脊椎症のママが赤ちゃんを産むという事。《5.妊娠(弟Aくん)》」【2010年9月〜2011年5月】

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私の出産経験談の続編です。長文ですが、お付き合いください。

* * *

《5.妊娠(弟Aくん)》

Sくん誕生から2年後、2010年9月に弟Aくんの妊娠が分かりました。障害があって苦労して子供を産んだのに、なぜ二人目を授かったのか。子供は一人で良かったのではないか。私の周囲に疑問の声が上がりました。

私には妹がいます。妹の存在に繰り返し助けられながら、支え合って私達は生きて来ました。だから、Sくんにも一人は弟か妹を作ってあげたいというのが私の願いでした。また、私が近い将来に死んでしまった時、兄弟姉妹がいた方が少しは心強いんじゃないかと考えていました。願いは届かない事もあります。願いは理解されない事もあります。それでも、私はこんな想いで二人目を授かりました。

Aくん妊娠時は、熊本大学医学部付属病院や久留米の聖マリア病院が二分脊椎症のママを受け入れ可能になっていましたが、家族で話し合って、2010年10月末から2011年7月まで、Sくんを連れて長く里帰りする事になりました。10月、家族三人で飛行機に乗り、京都へ移動しました。妊娠期間は子宮筋腫がない分、痛みは少なく、出血もたまにしかありませんでした。

京都へ帰ってから、Sくんはいい保育園にめぐり逢い、一時保育に通い始めました。私は風邪を引き、ずっと熱と頭痛、顔面痛があるままでしたが、Sくんがいてくれたおかげで、痛みを気にせずに過ごす事ができました。

(長くて楽しかった里帰り、後に、この里帰りが、最後の実家での生活になってしまった事に私は気付きます。帰る家があるのは本当に幸せな事です。何でも、無くなってから気付く。失ってから、思い知ります。ありがとう、さようなら。この一年後に実家は引っ越し、直後に母の膵臓癌が発覚、怒涛の闘病生活を経て、二年半後に母は他界しました。)

父と母と妹とSくんと私、実家で赤ちゃんを待つ生活が始まりました……。

つづく。