かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第137話「二分脊椎症のママが赤ちゃんを産むという事。《7.出産(弟Aくん)》」【2011年5月〜】

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私の出産経験談の続編、最終回です。

* * *

《7.出産(弟Aくん)》

2011年5月11日、帝王切開予定日。私はSくんの時と同じ流れだと思ってリラックスしていました。新米の看護師さんに先にデジタル一眼レフカメラの操作を伝えようと思ったら、「産まれてからでいいですよ」と言われ、まぁ後からでいいか〜と思っていました。

手術室に入り、部分麻酔をしてもらい、メスを入れ始めてから7分後……

激痛が走りました。

私:「先生、痛いです。」

先生:「あれ?じゃあ、麻酔、増やそうか。」

それでまたメスを入れると、……激痛!

部分麻酔しているはずの体全体が動きました。手術室に沈黙が走りました。

産婦人科の先生:「部分麻酔が…効いてないわ。……今、へその緒が絡まって赤ちゃんが瀕死の状態で、全身麻酔に切り替えると、赤ちゃんが死んでしまうかもしれないのよ…。……◯◯さんは今までにたくさん痛い想いをしてきたよね?なるべく手早くやるから、このまま我慢してちょうだい!」

えーーー!

でも、「はい」と言うしかありませんでした。麻酔なしで帝王切開続行…それは言葉にならない痛みでした。

『戦場で負傷して足を切るとかこんな感じかな…』と考えていました。そして、二度と妊娠しないわ…とも思いました。

途中で何回も気を失ったり、麻酔の効果が無駄に上に上がってきて吐きそうになったりしました。その度に頭を横に振り、吐いていたので、出産から半年は酷い目眩が残りました。

Aくんはチアノーゼの状態で、紫色で、最初は泣きませんでした。が、後からビックリするような元気な泣き声で泣き始めました。

看護師さん:「あの!出産記念撮影します!あの!このカメラどうやって使うんですか?」

私:「え。」←やっぱり先に説明しておけば良かった。

先生:「あ、男の子やわ(笑)。」

私:「え。」←女の子と聞いていた。

先生:「これから胎盤出して縫うけど…、5分くらいかな。ここから全身麻酔に切り替えるリスク考えたら、もうこのままいくね?」

私:「はい…」

激痛の40分間が終わりました。

Aくんが産まれた日は、五月晴れのとてもいい気候でした。私は、麻酔なしでの手術に耐えたせいで、後陣痛は何とも感じず、さくさく歩いて、個室から赤ちゃんがいる部屋へ行き、Aくんにおっぱいをあげていました。

今回もたくさんの方々にお世話になって、Aくんは生まれる事ができました。Aくん、こんな私の元へ生まれて来てくれてありがとう。…それから、予定通り二ヶ月後に私達は熊本へ帰りました。

その後。私は一年以上続いた風邪が治らないまま肺炎になり、長らく続いた咳で肋骨も折れてしまいました。肺炎の薬の副作用に振り回されたり、婦人科系の病気にもかかり今も治療が続いています。繰り返しインフルエンザにもかかりました。持病の薬の量も増えました。病状は急激に悪化していきました。
(二分脊椎症のママさんが子供を出産したら必ず悪化するというわけではありません。)

今、Sくんは8歳、弟Aくんは5歳になりました。我が家は家事と育児の20%程をヘルパーさんにお願いして、あとは家族で分担して暮らしています。この日本において、障害があったら親になれないなんて事はありません。
(必ず受け入れ先がありますから、たまたま拒む病院に出会ってしまっても、諦めずに病院探しを続けてください。)

私が子育てをする時、かいじゅう兄弟の将来に対する漠然とした不安は拭い去れません。でも、私がこうして「生かされて生きている」事が、”弱く産まれても人間らしく生きていける証”になっているのではないかと思っています。そして、「どんな人も生きていい国に私達はいるんだ」と気付かされます……。

いつも自画自賛ですみません。さすがに、もう妊娠はしません(汗)。これにて、私の出産経験談を終わります。ありがとうございました……。

つづく。