かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第138話「もしもの世界。もしも私に障害が無かったら。」【2016年11月】

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1980年、絶妙なタイミングで私は二分脊椎症という病気を抱えて日本に産まれてきてしまいました。

もしも私が日本でなく他国に産まれていたら…救えない命だったそうです。

また、もしも私がもっと早くに日本に産まれていたら…それも救えなかったそうです。

逆にもっと遅くに産まれていたら…エコーや検査で障害が発覚して、この世には産まれていませんでした。
(母は妊娠中に障害がある子だと分かっていたら堕ろしていたと話してくれました。)

医療技術の合間をぬって産まれてしまった二分脊椎症の私が大人になり、産み育てているかいじゅう兄弟もまた発達障害という病気を持って産まれてきました。

どうして私達に障害があるのか、その仕組みは分かっていません。ただ、偶然が産んだレアケースとは言え、産まれてしまったものは育て上げ、自立へ導くしかありません。どんな理由があろうとも、途中でポーンと捨てたりできるわけではないのです。

時々、もしも私に障害が無かったら、どんなだったろうかと想像する事があります。また、かいじゅう兄弟に障害が無かったらどんなだったろうかとも思います。

私はまだ少し元気だった中学生、高校生の頃に、生徒会活動をしていた事がありました。みんなで力を合わせて何かを達成する素晴らしさを肌で感じて、やりがいを感じるタイプでした。

私がPTAの事で残念だったのは、「このような障害はありますが、できる事はします」と申し出たところ、「地域に障害者はいらない。ここに暮らすなら健常者と同じようにやれ。」と言われてしまった事でした。また、そのまま激しい差別にも遭った事でした。私は今でも恐怖を感じています。

感情的に言えば私もPTA活動を「健常者のようにやりたい!」と思ったし、もっと言えば「私も健常者に生まれたかった!」。でも、物理的に、”できない事はどうやったってできない”というのが現実でした。

私にもしも障害がなかったら、その昔に生徒会活動に燃えたようにPTA活動をやっていたと思います。もしも…、たら…、れば…、を、いくら話しても無駄かもしれませんが、私は、だから、PTAを免除になった今でも「悔しかった」と感じてしまうのだと思います。

もしも、かいじゅう兄弟に障害が無かったら…。無かったら…。無かったら…良かったのにね…と本当に思います。

もしも口がきけなかったらそれだけで何も意見がないわけじゃない、もしも表情に出せなかったら嫌な気持ちでないというわけじゃない、動けなかったら運んでもらうのが当たり前と思っているわけじゃないし、心はいつだって、「自分でちゃんと自分の事を、自分の役割をしたい!」と叫んでいるはずなのに、叫んだところで実際にそれができるわけでもない。狭い箱に閉じ込められてしまったような感覚に、私はよくなります。

昔は「産まれて来なければ良かった」と思う事がありました。税金だって使うし、役にも立たない、こんな私は死んでいたら良かったと子供心に思いました。

飛べない生き物が鳥を見て、空を飛ぶってどんなだろうと想像するように、障害がアイデンティティの一部のようになった今でも、私の中には、もしもの世界への憧れや悲しみが流れています。

障害があってもなくても私は私。でも、もしも自分に障害がなかったら、…こんなに障害というテーマについて考えたり、情報を集めたりはしていなかったろうなと思います。このブログも書いてはいなかったでしょう。

もしも1980年から少しタイミングがズレていたら、私はこの世にいなくて、かいじゅう兄弟もこの世にいなくて、三人分、お金は減らせたかもしれません。

小さな箱の中から、外を覗いて、私は思います。弱く産まれてごめんなさい。弱い子を産んでごめんなさい。たくさん迷惑をかけます。でも、私達、まだまだ死ぬわけにはいきません。

もしも世の中が、強くなければ産まれてはいけなかったら……。優秀な個体でなければ産んではいけなかったら……。もしも完璧しか認めない世界だったら………。今、世の中が少しずつ、優生思想に傾いているようで、産まれてしまって、生きてしまっている私はただただ恐いのです……。

つづく。