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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第149話「家で仕事する事」【2016年11月】

ママのこと

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今日は私がお家でしているデザインの仕事についてお話します。我が家の主な収入源はパパが、あとは手当、私が自宅でしている仕事は微々たるものですが、なんとか続けています。

まず、私には二分脊椎症があり、投薬と絶食で体調を調整して生活しています。仕事時間は多い時で1日4時間、子供達がいない日中に行います。納期は2週間くらいの短いスパンのものから、半年間におよぶものまで、色々です。
(昔は毎週定期的に下請けしていた時期もありましたが、ネットショップの仕事で日にちが変わる時に自宅から更新作業があり、体力的にきつくなって三年で終止符を打ちました。)

収入は頑張った時で内職くらい。体調が悪くてお引き受けできず、収入0の月もあります。私が仕事をしなければ家計が傾くわけではありませんが、仕事をしていた方が張り合いがあって、体調が悪くなっても「また元気になったら仕事しよう」という気になれます。また、弟Aくんが保育園に通っている本当の理由は、”私に障害があるから”ですが、周りの方には”共働きだ”と話しています。
(以前に通っていた保育園で、”病気理由で保育園を利用する事を認めない”という保護者の運動が起こった事がありました。)

私は幼い頃から絵を描く事が大好きでした。好きな気持ちと器用さで、芸術大へ進学。一般の就職活動もしましたが、障害を抱えたままでは健常の方々と同じように働く事はできないと知りました。そして大学卒業後、持病の悪化で自宅療養の日々が始まりました。周りには”フリーで仕事している”と言っていましたが、実はフリーにしかなれなかったのです。

身体に障害があるから→家にいる事が多かったから→絵が上手になって→学習障害と知らずに学力低下に悩んだから→実技だけで芸術大へ行って→就活は失敗に終わったけど→コンペに通ったから→フリーになりやすかった……。自宅でできる仕事に繋がったのは、振り返れば、分かりきっていた「決まっていた道」だったかもしれません。でも、分岐点で私は「自分で選んでこの道にいる」意識を持って、生きてきたような気がします。

私は、障害がなくてもフリーで作家をしていたかもしれないし、障害がなかったらもう少し収入があったかもしれないし、小学生の時になりたかった学校の先生になっていたかもしれないし、高校生の時に興味があった心理学の方面へ進んでいたかもしれないけれど、今はこれでいいんだと思えます。

自分に合ってる仕事ができて良かった、それは幸せな事だと思います。ただし、収入は微々たる物です。周りからは「共働きでかなり稼いでいる」「デザインの仕事ってカッコいい」「自宅にカッコいいアトリエがある」なんて勘違いされがちですが、そんな雰囲気じゃないです。

ちなみに、以前、テレビ出演した時は、自宅ではなく、テレビ局の編集室を自宅風にして撮影されました(笑)。自宅なんて、洗濯を干してる横でパソコンを開いていたり、ダイニングテーブルにイラストの原画を散らかしていたり、かいじゅう兄弟に作品を壊されないように守るのに必死な感じ、生活感ありありで、カッコ良くはないです。

かいじゅう兄弟も将来、一般的な職種につくのは難しいのではないかな…と私は感じています。自分の特性や体調と折り合いをつけて続けていける、そんなバランスを私がこれからも続けて、かいじゅう兄弟の生きるヒントにならないかな…と考えながら過ごす今日この頃です……。

つづく。