かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第150話「昔話。装具の痛み。」【2016年11月】

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あの子は今どうしているだろうか……。幼稚園の年中だった時、私は優しいお友達に出逢いました。

私は足が弱くて、分厚くてゴツい白い装具を履いていました。見た目をからかわれたり、走るのが遅かったり、よく転けたり。恥ずかしくて、嫌で、新しい装具を作る日に泣いたら、技師の先生が赤い装具を作ってくれて、余計嫌だったけど、お母さんが「ありがとうございます!」って嬉しそうに言うし、もう嫌って言えなくなって、私も「ありがとうございます…」って言って、帰って来た事がありました。

どうして、こんなに伝わらないんだろう。

どうして、私だけ、こんなに嫌な気持ちなんだろう。

私に装具は必要でした。足の裏は土踏まずが抉れた形で、指先は潰れたように曲がっていて、爪は血豆で真っ黒でした。足の変形に合わせた特別な形の靴底は、指で触ってみると小さな砂丘のようで、真っ暗な靴底の中をいつまでも覗いては、「早く履きなさい!」と怒られていました。

幼稚園に入る時は装具を脱ぐので嬉しくて、帰りは帰るだけだから諦めて。園庭遊びに行く時が一番嫌でした。いつも靴箱の前の板に座って、先生に声をかけられるまでそこにいました。

ある日のこと、女の子のお友達が座り込む私の隣に来て言いました。

女の子:「そのくつ、かっこいい!くつ、かえっこしよう!」
私:「い、いいけど…」

びっくりした私をよそに、お友達は私の赤い装具を履いて立ち上がりました。

女の子:「い、いたい!」
ふらふらしてお友達は転けてしまいました。

女の子:「わたし、◯◯ちゃんのこと、わかった。こんなふうに、あしがいたかったんだね。」

私達は靴をお互いに返して、それぞれに履いて、手を繋いで立ち上がりました。嬉しくて泣いたのは、その時が初めてでした。

その後、私は受け入れ先の小学校がなくて私立へ行き、何年かして、そのお友達はお父さんの仕事の都合で外国へ行ってしまいました。

あの子は今どうしているだろう。時々思い返す思い出です……。

つづく。