かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第159話「区別と差別」【2016年11月】

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私が幼稚園の年長だった時、夏にお泊まり保育がありました。園舎で行われた肝試し、二人組の相方の子が怖がり過ぎて、ワー!っと声を上げて走り出し、私を置いていなくなってしまいました。一人きりにされた!と、腹が立った私は怖さなんかなくなって、廊下をどんどん進み、物陰からオバケのふりした先生の声と、糸に吊らしたこんにゃくがぷらーんと顔に当たり、激怒!こんにゃくを引きちぎってしまいました。

昔の私はまるで今の弟Aくんのようでした。私にもADHDのような衝動性があったかもしれないし、普通の子でもご機嫌斜めの時があるかもしれない。周りのお子さん達を見ていても、ヤンチャ坊主だったり、おてんばちゃんだったり、人見知りや、泣き虫、怒りんぼ、大きな声、不器用な食べこぼし、様々な個性と愛らしい表情がある。子供らしくていいなぁと私は思っています。

でもたまに、発達障害と言われて人生が終わったくらい泣いた、うちの子は発達障害じゃなかったから良かった、そんなエピソードを聞いてしまった時、内心、引っかかってしまう私がいます。発達障害と診断された親子は、もう違う世界の住人のようで、この空虚な気持ちは、どこから来てどこへ行くんだろうか……?

病気や障害は、あるより、ない方がいいのは確かです。あと、障害があってもなくても、一人の人間の子を大人まで育てるのは大変な事だと思います。でも、どうしても、”ある方”は何か足枷が、もう「うちは普通じゃないんだよね」っていう諦めや、将来の事や、いろいろ目の前が曇って、突然「無」がやってきます。

私達親子は、人生が終わったくらい泣くほど悲しい事になってるんやろか?発達障害がなかったら良かったで、発達障害があったら良くなかったんやろか?この子がかけがえのない我が子である事は、診断が出ても出なくても、変わらないやんか?……壁にぶつかったり、扉を探したり、迂回したり、勉強して鍵を見つけたり。これは私自身の問題、いつも自問自答です。

「障害者」、最近は「障がい者」と書いたり、名称を変えようという動きもあります。定義は歴史の中で様々に変わって行きます。でも本当は、名称なんて何でも良くて。見えない”壁”を壊さなきゃならない。世の中は当然のように”言葉で分ける必要がある”、でも、言葉で区別した先に、誤解や差別が生まれたりもする……。

もしかしたら永遠に、障害者にとって適切な言葉は生まれてこないかもしれません。もしかしたら、名称を変える事がこの問題を振り返るきっかけになっているかもしれないとも思う今日この頃です……。

つづく。