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かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第208話「虐め”枠”」【2017年2月】

Sくんのこと

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重い足取りで学校へ向かうSくん。今週は朝の支度にも自然と時間がかかっています。そして帰ると、あれこれ嫌がらせされた話と、「友達はいない。」「転校したい。」「学校やめたい。」「もう我慢できない。」と泣きながら大暴れ。私への八つ当たりも激化していますが、去年はこうして想いを出す事も出来なかったんだな…と受け止めています。

ニュースで流れる「虐めと断定した」とか、「しない」とか。もう虐め”枠”自体やめてしまってはどうかな?と感じています。子供のうち、未成年のうちなら、罰を受けない?許される?更生する可能性がある?うーん、希望を持って更生する可能性はあるとして、やられてしまった方の心の傷や失われてしまった命はどうなるんでしょうか。

虐めは取り返しがつかない。虐めは犯罪。私はそう思います。

加害者側と学校側って、虐めと認めたく無い利害関係が一致していて、「虐めと断定した」とか、「しない」とか、そんな事になるのかなとも思います。親も子供も先生も、「責任は取りたくない」、「できれば無かった事にしたい」、そんな感じなのでしょう。

やっておいて、逃げ切れるなんて本当に思っているんでしょうか。自分の記憶の中に、どれだけ言い訳つけても、捻じ曲げても、虐めをしたという記録は残っているわけです。

虐められた側には、”虐められたら逃げていいんだよ”という言葉がよくかけられます。うん、分かります。でも、「虐めによる引っ越し助成金制度」とか無いし、「引っ越しせずに転校だけ認める制度(制度としてあるけど、京都市での前例はない)」も無いようなもんですよね?「ビンボーでターゲットにされたら、おしまいやん!(←我が家のケース)」と真剣に思うのです。

昔に、私が激しい虐めに遭っていた時に、「自分を攻撃する人にこそ目を向け、背景を理解し、手を差し伸べていける人を目指しなさい」と話した人がいました。ああ、私はそこへ到達できなかった、ナウシカのような人にはなれなかった、と、今でも感じています。

「虐められた方の心が、傷を経て、再構築しながら、相手が虐めに至った経緯を理解していく」、これを今のSくんに話すべきでしょうか。クリニックの先生はその段階に来ていると言います。でも、私自身、それができなかったんですよ?笑。

Sくんの気持ちを理解したり、言葉を引き出したり、寄り添う力は私にあるけれど、相手を包み込んで解決へ持って行くような力が子供の頃の私には無かったし、大人になってからもそういう生き方をして来なかった気がするのです。

重い足取りで学校へ向かうSくんの「心」を強くするしかないのか…。とても難しい事だと思います。なんでやねん!という気持ちもあります。

結局、一年前に、虐めと、特別支援不足で不登校になり、支援を受けながら学校へ復帰して、なんとか特別支援は受けていますが、虐めがない環境にはなりませんでした。

今は我慢して学校へ行ってストレスを溜めて帰って来ます。再び、学校へ行く事をやめにするのか、他に何かいい方法があるのか。あまり悠長に考えている時間はない気がしています……。

つづく。