かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第491話「気付きから熊本脱出まで」【2018年1月】

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よく、「なんであんな人と結婚したん?」と聞かれます。それー!私も知りたい。でも最初はなかったんです、たぶん、普通を演じていたのだと思います。

"あれ?"っと最初に違和感を感じたのは、Sくんを妊娠して5ヶ月くらいの時。子宮筋腫と切迫流産で激痛と出血が止まらず、夜、救急に来た時のことでした。歩く事もままならず、車椅子で院内を移動して、診察後は自宅で絶対安静と言われました。帰り、緊急専用の出入り口で、パパが車を横付けしていた所へ、車椅子で押してもらいながら来て、ゆっくり立ち上がり、そろり、そろりと歩いていたら……

パパ:「おい!周り見ろよ!渋滞してんの見えんのか!走れ!」

と叫ばれました。緊急専用出入り口には確かに何台か、帰りの車が並んでいました。

『……え?走ったら赤ちゃん流れるよ?走る元気なんか私には残されていないよ?何の為に緊急来たんさ?バカなの?』

と思いましたが、顔を上げる事さえ辛く、ふらふらでした。すると守衛さんがやって走って来て、赤い誘導灯をブンブン振り回しながら言いました。

守衛さん:「お前!バカか!ここは苦しんでる人が来る所や!誰も、急げとも、走れとも思ってない!お前が周り、よく見ろや!奥さん、誰の子供妊娠してると思ってるんや!いい加減にせーよ!バカヤロー!」

守衛さん、よくぞ言ってくれました!ありがとうございます……。

これが最初の"あれ?"でした。パパは人前で怒鳴られましたが、翌日、自分が怒鳴られた理由が分からないと話していました。そして今は、その出来事を覚えていないそうです。

後に、パートナーがアスペルガーの場合に読む本を読んで、最初の"あれ?"が来るのは、パートナーが子供を妊娠して堕ろせなくなった頃だと書いてあって、はっとしました。

本を読んだのは、4年後に弟Aくんが産まれた後、5歳になったSくんが発達障害と分かった後、京都へ引っ越して通院を始めてから……です。最初の"あれ?"から8年経っていました。その間は、私は、アスペルガーのある人のパートナーが発症するカサンドラ症候群になっていました。

見知らぬ土地の熊本で、友達はなし。しかも自宅があった場所はど田舎。一番近いスーパーは徒歩45分、小学校は徒歩120分。バスは1時間に1本。障害が重い為に私は運転免許もなく、パパの親族に都合を聞いて通院の送り迎えをしてもらっていました。2回の出産で体調は悪く、弟Aくんを産んだ後は、風邪→肺炎→咳のし過ぎで肋骨骨折→咳止めの薬の副作用で2週間便秘→そして半年後にやっと肋骨が治る、という流れも経験しました。弟Aくんは歩き始めていました。

鳥籠の中のような生活で、唯一の家族であったはずのパパとは、意思疎通がとれない、会話がいつも上手くいかない、大概怒鳴られたり、キレられたりして、「悪いのはいつもお前だ!お前は能力の低い人間だ!お前なんか死んだらいい!」と繰り返し言われました。

しかし、私は、そういう事を言われるのに慣れていました。どこかで私は、私は必要なく、レベルの低い、生きているだけで迷惑のかかる、死んでいい存在だと思っているのです……。

母と上手くいかなかった子供時代、担任からの虐め、様々な嫌がらせを経験して大人になったせいで、"ああ、また言われてる"くらいにしか受け止めませんでしたが、熊本のど田舎の環境と、友達がいない世界にいて、鬱になりました。

最後にはパパが外で遊んで帰らない時期に突入し、Sくんの保育園のPTAでは病気でもPTAしろ!病気理由で保育園利用するな!と吊るし上げにあい、鬱はどんどん酷くなって、熊本から脱出するに至りました。

生まれ育った京都へ、その頃、母は膵臓癌の末期でした。家族に頼る事はできないけれど、京都の交通の便の良さなら自分で病院へ行ける、自由に買い物に行ける、気軽に友達に会える、福祉が行き届いている、だから、様々な苦痛は、京都へ帰る道しるべだったんだと思いました。だいぶ、茨の道ではありましたが……。

これで、京都へ帰れる!わーい!

くらいの感覚になっていました。何もいい事はないのに、その時、凄くいい事が起こったように感じていました……。

つづく。