かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第564話「正しいとか、正しくないとか」【2018年4月】

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昔、私は子供の精神科の先生とお話するのが辛い時期がありました。行くのを止めるか行くか、直前まで迷いながら重い足を上げて、通院していました。

発達障害のある我が子への正しい対応の仕方、ペアレントトレーニングを受けたり、子供の精神科の先生にぴしゃりと注意を受けたり。正しいことは、きっとどこまでも、正しい。専門家の指示出しは合っている。でも、正しさは、どこかで、誰かを傷付けている事がある。手を尽くしても、どうしようもない時に感情の行き場はありませんでした。

私はこんなに辛い想いをしながら耐えている!と私は思っていました。だから、パパに対して、発達障害児の親として、対等でいて欲しいと願っていました。

願いはいつも届かず。パパのかいじゅう兄弟への対応や、障害のある私への対応には疑問を感じる内容でした。出るとこに出たら裁かれる、そんなレベル……。

でも、私が実家にいた時も同じようで、親の、どうしようもない感情に行き場はなかったんだと、障害児の育児をしながら、自分が障害児であった子供時代を振り返りながら、感じ始めました。

虐げるような暴言や手を出す虐待や精神的に追い詰めるあれこれは、絶対に間違いだから、やってはならない。けれど、やってる方もまた限界で、やりたくてやってるわけではないのかもしれない。だから許すとかいう話ではなくて。

正しいことは、きっとどこまでも、正しい。でも、正しさは、どこかで、誰かを傷付けている事がある。こんな事やったらあかんやろ!と正論をぶつけても、相手は傷付くだけで、それをやめさせる術にはならず、願いはどこまでも届かないのです。

散々語ってきたPTAもそう。そもそもボランティア活動。やるかやらないかは自由選択。強制的なやり方をしていると、人数が少ない学校では互いに無理がかかる。いがみ合い、仲が悪くなる。免除はある学校には最初からある。ここにはなかった。未だに私しか免除になっていない……。正しいことは、きっとどこまでも、正しい。でも、正しさは、どこかで、誰かを傷付けている事がある。

三年の交渉期間を経て、私は、障害を理由に免除になりましたが、私の分の役割は必ず誰かが請け負っているはずで、その誰かは苦労したり、傷付いたりしているかもしれないと思うのです。また逆に、PTAは何が何でも平等だと私に迫って来たママさん達、病気を詳細に知りたがったママさん達に知ってもらいたい、私が傷付いたという事を。

正しいとか、正しくないとか、時と場合とメンバーとで変わる事もある。短い言葉で語れる程、簡単な物でもない。

どう出たら、リスクを低く治められるかを考えて、犠牲がある事は承知で進むしかない。正しさだけでは前に進まないから。

こんな私を非難する声がある事も承知の上で、今、やっている事はベターな選択で、とりあえず今はこれで正しいんだ、と思って、思い聞かせて、自分で判断して、自分を自分で応援して、私は行動し続けていきます……。

つづく。