かいじゅう兄弟

二分脊椎症のママと発達障害のかいじゅう兄弟が繰り広げるドキュメンタリー

第644話「賞状にまつわるエトセトラ」【2018年7月】

ご訪問いただき、ありがとうございます。読者登録をしてくださった方、星をくださった方、メッセージをくださった方、ありがとうございます。ありがとうを糧に更新を続けていきます。これからもよろしくお願いいたします。


* * *

 

辞めたいと言いながら公文式でテストに合格してもらう小さな賞状を喜んで見せてくれる弟Aくん。今はベッドフレームにはっています。弟Aくんにとって、賞状は努力の証なのです。


Sくんは、たまに絵や工作で入選して賞状をもらって来る事がありましたが……。「こんな紙切れに何の意味があるんだ。結果より作っていて楽しかった時が大切だ!」と怒り出し、破り捨ててしまいました。


しばらくしてから、「ごめん…ママは我が子が賞状もらって来て嬉しかったよね?」と聞かれました。私……、私か。私はどうかな……?


子供が賞状をもらって、それをその子自身が喜んでいるなら、一緒に喜ぶけれど、Sくんは激しく拒否したので、そっか…という程度で。


ちなみに、私自身は絵でたくさん賞をもらう子で、分厚いファイルに母がとっておいてくれた賞状がありますが……絵は捨てられてしまい。母の中で、絵より賞状が大事ということにショックを受けていました。


あと、虐められたり、からかわれたりした時に、心の中では、"私は貴方達とは違うの"と密かに思っていました。あれは自己肯定感が高かったのかな?私は賞状をたくさんもらうような子供で、そんな私を馬鹿にする、貴方達が馬鹿なんだ、と思って、心の中で、馬鹿にする子を下に見ていました。


賞をたくさんもらう事で自信には繋がっていましたが、長い作家人生で見たら、子供の頃の賞はあまり意味がなくて。大人になってから表彰を受けたいくつかだけは、それが宣伝になったり、仕事の依頼に繋がったりして、意味がありました。


大学に入る時点から数えて、10000分の1の人になれたら、芸術で、世に名前が出る、と恩師から言われていました。確かに、大学受験が当時48倍の難関で受かり(←実技のみ)、その時の成績は1番で冊子に載りました。そこから小さな賞をいくつか取り、学内でも奨励金などをもらう子に選ばれたり、なんやかんやとあって、卒業までに、倍率を掛け算していって、10000分の1に達したら、全国紙に載り、そこでやっと、仕事が来ました。


仕事が来ただけで、芸術で食っていけるレベルにはなれませんでした。持病も悪化して就職もできなかったので、フリーで、デザインの下請けなどを申し出て仕事をもらい、結局、障害基礎年金と合わせて、普通の人よりは下という結果になりました。


実家をいつかは出なければならない、けれど稼げない。


一時期、この事で父と喧嘩したことがありました。父は、「障害があるからって雇ってもらえないなんておかしい!お前の努力が足りないからこうなっているんだ!」と、珍しく怒鳴りました。


それは違います。


私:「障害者で外で働く人もいるけれど、私の障害はそうではない、そしてそれは、社会が悪いわけでも、私が悪いわけでもない。私が努力をしていないというなら、それは、お父さんが知らないだけで、そんなことを言うのは私に対して失礼だ。私の努力のせいにしてしまえば、問題は解決したように見えるかもしれないけれど、それは違う。臭いものに蓋をしただけだ。お父さんは何も分かっていない。この、私に、怒鳴るなんて、失礼だ、今すぐ謝ってください。」


父は小さく、ごめん…と言いました。


私は早く結婚して家を出ようと思いました。


結婚して。旦那が外で稼いで、私は細々と内職くらい稼ぐ。あとは障害基礎年金で治療や通院をカバーする。のちに生まれた子供達もまた障害があったけれど、特別児童扶養手当を受けて、治療や通院のタクシー代に当てて、なんとか、家計が回っている。けど、貯金はあまりない。。


賞状をもらって嬉しい気持ちがあったり、次また頑張れる意味はあるんだと思います。努力の証でもあるし、他人に示しやすい。でも本当のところは、Sくんが言う通り、結果より過程が大切で、この紙切れにはあまり意味はない。


賞状にまつわる話でした……。


つづく。